テレビをつけたら今やゴールデン番組のほとんどでクイズ番組が放送されている。
内容を見てても、正直必要かどうかもわからない程にコアな知識を競い合って、視聴者(私)を置いてけぼりにするアレである。
一方その反面
ここ数年で全く逆の人種も見るようになった。
- 不登校小学生YouTuber「ゆたぽん」
- 月収6桁中学生ブロガー「キメラゴン」
学歴がなくても世間を騒がせながら稼いでいる2人である。(アンチもたくさんいるが)
二人はまさに見るからに「自由が一番」といった生き方をしている。
社畜真っ最中の私たちからしたら、とても理解し難い二人である。
実際、学校に行かないと不幸になるぞ!といった声がたくさん上がっている。
それは私も同意する。なぜなら学校を経て手に入れた経験や知識があるからだ。
だがしかし、フリーランスで稼いでいる人たちと、社畜真っ只中で低給料の私たちを、比べてしまうときがある。
フリーランスだからと言って、楽して稼いではいないと思うが、明らかにこの差はなんだろう。
そこで、ふと疑問に思うことがある、
はてな
”はたして勉強は本当に必要なのか?”
今回はそんなことについて書いていこうと思う。

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もはや学歴がなくても生きていける時代に
学校に行っている時に「なんでこの知識がいるのか?」と思ったことはないだろうか。
クイズ番組のコアな問題を見てもそう。
活躍する場面があるのかといったら、実際はそうではない。
クイズ番組を除いて、学校で得た知識が私生活で1番活躍する場面といえば、「受験」ぐらいしかないのではないだろうか。
もちろん企業に就職して、たまたま勉強した知識が必要だったケースもあるだろう。
むしろ、
実際に職場に出て必要なのは、知識よりも先行して「人間力」「コミュニケーション能力」だと常々感じさせられる。
(Twitterとかみると余計にね)
それならいよいよ本当に学校は無くなってしまうのか?
行くメリットはなんなのか?
ゆたぽん、キメラゴンを見ていて、学校の意義はなにか考えさせられた。
ただし、
一つ私の中で「ふたりだからこそ成立する」と思うことがある。
それは、
「自分の中で答えが出ているかどうか」
である。

2人は集団からハブれた1人ではない。
なにが一般市民と違うかと言われたら、2人の共通点はここだ。
「自分の意思で学校に行かないと決めた」
ということだ。
学校に行かないと普通なら不安になる。
漠然とした不安。みんなと違う不安。
将来の不安。学歴がない不安。
だがしかし、2人はその道を、自分で決めているのである。
まずここに一般人と大きく差別化する要点があることは確かだ。
その次に共通していること。
「学校に行かなくてもどうにかなる」と気づいている点だ。
正直、他の人からみたら面白くないと思う。
たしかに、
勉強がいくら社会で役に立たないからといって、
「じゃあ行かない」となると「は?」と思うのは自然の原理。
人としての常識を思いきり外しているから、そりゃアンチが沸くわけだ。
だがしかし、彼らをみていると、「自分のビジョン」の確立が出来ていることがわかる。
大人が「やめときなよ」という声をフル無視して、自分のやりたいことに全力なのは、むしろ羨ましささえある。
むしろ、今はそれが成立してしまう時代ではあるのだ。
勉強も取捨選択できる時代。
それにいち早く気づいただけの2人である。
学校に行かなくても大丈夫な時代を作り上げてしまったのは、一体どこの誰であろうか?

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社会のしがらみから抜けるには、「自由になりたい」だけじゃ無理
正直、この2人のようになるには相当な覚悟と、自分のビジョンが見えていないと無理である。
食品でわかりやすく例えるなら、
「スーパーではもう絶対に何も買わない」と自分で決めて、かわりに自分で作った畑で取れた物だけで生活する。
ということではないだろうか。(例えがわかりづらくてスマン)
ようするに、1人でどうにかする状況を作って、案の定、どうにかなっている2人ということである。
完全自給自足型の人間である。
いわゆる2人のやっていることは「フリーランス」ということであるが、
学校での学びを自らすてて、自分で道を切り開いていく覚悟があるということだ。
大人だって、突然急に仕事を辞めて「フリーランスになります!」というのは相当な覚悟が必要だし、かなり難しいだろう。
それが2人にとってはたまたま早かっただけ、ということである。
「安定しない道こそ、幸せがある」ということもきっと理解しているのであろう。

会社がいつ潰れるか分からないこの時代でできること。
もはや、この不況の中、独立した方が数十倍も稼げる時代になってしまった。
会社が雇い側を選ぶ時代は終わりつつある。
今は個人がとても強い時代。
その中で何を材料にして戦っていくのか、それが今後求められることではないかと痛感させられる。
もちろん、こうやったら儲かる!という説明書きですら、「じゃあここからは有料です」と売られている時代。
今は情報が売られる時代なのだ。
各々の武器はなんなのか、何が世間に必要とされているのか、いま一度1人の時間をつくり考える必要がある。
2人にはあって、私たちにない物。
反面、2人にはなくて、私たちにある物。
それをどう売り込んでいくか、が
これからの時代のキーになるのであろう。